沙門シコウさんのツイート
炎上覚悟で申しますが、お寺での厳しい修行よりも、学生時代のファミレスのアルバイトや、時間に縛られる事務仕事の方が辛かったです。
ましてや、社会人の皆様は、そこらのお坊さんよりもよっぽど厳しい体験をされている事でしょう。
誇りを持ちつつ、どうか無理をせずにお仕事されてください。
炎上覚悟で申しますが、お寺での厳しい修行よりも、学生時代のファミレスのアルバイトや、時間に縛られる事務仕事の方が辛かったです。ましてや、社会人の皆様は、そこらのお坊さんよりもよっぽど厳しい体験をされている事でしょう。誇りを持ちつつ、どうか無理をせずにお仕事されてください。
— 沙門シコウ (@shi_ko_u) January 4, 2022
fa-twitter関連ツイート
もちろんお坊さんの修行が無意味だと言っているわけではありません。
修行というとなにかと厳しいイメージがあるので褒められる事もあるのですが、その厳しさは社会人のみなさんと何ら変わりありません。みなさんのお仕事それぞれが、とても素晴らしく価値あるものだという事をお伝えした次第です。— 沙門シコウ (@shi_ko_u) January 4, 2022
ありがとうございます。
本当にその通りで、修行をして食べていけるなどという誠に得難い生活ができて、心から幸せに思います。
宗教はなんら特別ではなくあくまで救いのいちツールですから、宗教でなくても多くの救いがあり、それはどれも等しく尊いものだと思っております。— 沙門シコウ (@shi_ko_u) January 4, 2022
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fa-wikipedia-w修行
修行は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。 財産・名誉・性欲といった人間的な欲望から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態を追求することを指す。 この仏教用語を元に、古代インド宗教における同質の行為や、他の宗教における精神鍛錬にも、固有の用語が無い場合にはこの語が用いられる。
出典:Wikipedia
fa-commentネット上のコメント
・当に「日々の暮らしの中に修行在り」ですな。
・それ本当やな
・お坊さま、無作法限りの発言でお許しください。中学生のとき、学校から参禅研修に行きました。冷たい板の間に座禅して、警策で背中に青あざのできるまで叩かれて、本当に痛く辛い思いが残っています。辛いと言わずなんと言おうかという記憶です。
・ありがたいお言葉です
・苦しみは自分の外の無関係の他人からもたらされ、自分の記憶と感情が苦しみお逃がさない様に繰返し咀嚼し続ける、神仏へ寄り添う為の行は心仏の為に自己に帰結してゆく清んだ苦行なのだろか
・資本主義の思想・大乗仏教の思想、相反するものだと思います。
・単純作業している時の修行感。
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