「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」東日本大震災を撮影し、その後退社したNHKカメラマンが後悔の言葉… 当時を語る

「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」

▼記事によると…

午後3時54分。東日本大震災の津波の恐ろしさを映したヘリの映像が、テレビで生中継され始める。

この映像を撮影したのは、当時入局1年目の鉾井喬だ。ヘリでの撮影は研修を含めてこの日が4回目。

津波は道路や車、家を次々に飲み込んでいき、燃えたまま流されている家もあった。地面からのぼった土ぼこりは空まで届き、黒くなっている。まるで地獄のような光景で、頭の中で理解が追いかない。

この映像は、テレビで生中継されているに違いない。

映像を生中継していたテレビでは、アナウンサーや記者が、避難を呼びかけ続けていた。

撮影していた鉾井は、冷静だった。あまりにも現実離れしていて、まるで映画のように感じたからだという。津波が押し流している車や家には、多くの人がいるに違いない。人が巻き込まれる瞬間などが生中継で映り込むことがないよう、画面のアップを極力避けるよう意識した。

起きていることを正確に記録しなければ。とにかく撮ることだけで精いっぱいで、他のことを考える余裕はなかった。

撮影で精いっぱいだったが、ヘリを降りると、今まで撮影してきた光景が現実なのだという実感が、一気に湧いてきた。

そして自分は、惨事が起きているなかで、空の上という一番安全な場所にいた。罪悪感のような複雑な気持ちがこみ上げ、消えなくなった。1人でも多くの人に助かって欲しい。やりきれなかった。

2011年10月18日。
鉾井の姿は、優れた報道に贈られる日本新聞協会賞の授賞式の会場にあった。

受賞理由は「地震直後に飛び立ったヘリコプターから押し寄せる大津波をリアルタイムで全世界に中継し、大津波の恐ろしさや被害が拡大する様子を伝え、住民の避難や救助活動につなげた」ということ。

乗り気ではなかった。たまたまヘリ当番で居合わせただけで受賞することに、違和感があった。自分じゃない人が受賞すればいいのにとさえ思った。辞退することも頭をよぎったが、自分の功績ではなく、パイロットや局内のデスクを含め、365日体制で行うNHKヘリの緊急報道体制に対しての賞だと思うことにした。

「あの現場を撮ったことに対して、誇りを持て」と言われたこともあった。撮った映像は貴重だと感じるが、そういう風に思うことはできなかった。自分の成果ではない。逆に、ヘリのおかげで自分の命が助かっただけだというのが正直な気持ちだった。

少しでも不安になっている人たちと同じ目線、近い目線でいたい。津波を撮影していた時に、自分は上空の一番安全な場所から津波を見ていたということ、頭では必要なことと理解しても、心では負い目に感じてしまっていた。

入社から3年余りたった2013年、NHKを退職する道を選んだ。

転勤を打診されたが、福島を離れたくないという思いが強かったためだ。

福島の自然、そこで暮らす人たちの魅力を強く感じていた。

退職後は、美術作家として活動を始めた。

2016年からは、母校の東京藝術大学の非常勤講師も務める。

同じヘリに乗りながら、残ってニュースを伝え続ける選択をしたのが、小嶋陽輔だ。当時は入局8年目で、仙台局のカメラマンだった。

ヘリに向かって手を振る人たち。みんな救助を求めている。高台の上にある「志津川高校」のグラウンドには、大きなSOSの文字も見えた。

上空から初めて見る、救助を求める人の姿。胸が締め付けられるような思いだった。しかし自分たちのヘリでは助けることができない。

「ごめんなさい。救助のヘリじゃなくて、ごめんなさい」

心の中で唱えながら、撮影を続けた。

当時の映像を見ると、今でも動悸がとまらなくなるという。

海岸線を戻りながら撮影を続けていると、岩沼市の病院の屋上でも、白い旗や傘を振って助けを求める人の姿が見えた。屋上にはHELPの文字も。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

助けることが出来ない代わりに、病院の周囲の状況の撮影を始める。病院の周りは水没し、完全に孤立状態なのがよく分かる。ヘリが撮った映像には、状況を伝えるための小嶋の肉声も残されていた。

「岩沼市の南浜中央病院です。周りは完全に水に覆われています。完全に孤立しています。屋上にはHELPの文字と、旗を振る人の姿が見えます」

この状況をなんとか伝えたい。ただその一心だった。

その後、南三陸町でビルの上に避難した人たちのもとを訪ね、あの時どういう思いでヘリを見ていたか、直接尋ねたこともあった。

「なかなか降りてこないな、救助のヘリじゃないのかなと思っていた」
「すみません」
顔を合わせて、直接、謝った。

あれから10年。東京に転勤した今も、毎年欠かさず被災地の取材を続けている小嶋。彼にその理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「うまく言えないが、『見てしまった十字架を背負った』という気持ちになった。この瞬間に立ち合ったのだからという思い。人を救助するヘリではないので、その分映像で貢献しなければならないが、そこが及第点だったかどうかという負い目を感じている」

今回、2人が共通して語ったのは、「もっとできたことがあったはず」という後悔の言葉だった。

2021/03/08 15:09
https://note.com/nhk_syuzai/n/nffb61de9ca6a

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twitterの反応

ネット上のコメント

レンズを向け撮影して社会に伝えても、被害現場の惨状をただ傍観しているだけで、実際、ひとりも助けられていない自身の無力さに苛まれ、災害の規模が大きいほど指数関数的に心の中のトラウマに向き合う時間が増え続けていく… 悲哀

良い記事でした。

めちゃくちゃ気持ちわかります。報道と人命救助。でも、今の時代はこの気持ちで報道する報道が世の中に受け入れられる時代になった?10年の教訓を生かしてこそ人類の進歩と調和が生まれるのでは・・・

十字架を背負ってしまったんだなぁ。できることなら映像の説明ではなく、自分の目で見たリアルを語り継いでいって欲しいと思います。

「自分に向き合う」とか、「誠実さ」とか、軽々しく言ってる自分が恥ずかしくなる。

コロナも災害と言う点では同じ。コロナを津波に照らして一般の一人として自分の置かれた立場を考えてみる。「大したことない」と鷹を括るか、「とにかく、出来る限りを尽くす」を選ぶのか。少なくても救助(医療?)の妨げにはなりたくないと思います。

思い出すよ。地震があったあとに一目散に家に帰ってテレビをみたら、真っ黒な水が町を埋め尽くしてゆくのを。
あれを直に見たのはつらいだろう。

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