本能寺の変直後の明智、織田両軍の船戦文書 滋賀の石山寺で見つかる
▼記事によると…
・NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公、戦国武将・明智光秀が本能寺の変(1582年)で織田信長を倒した直後、光秀の重臣、明智秀満(左馬助)が船で瀬田川を渡ろうとし、瀬田城主・山岡景隆と戦になったと記された文書が、石山寺(大津市石山寺1)で見つかった。
明智軍が船戦をしたとされる文書の発見は初めて。県文化財保護課は「ほとんど分かっていない光秀、秀満の足跡に関する貴重な資料」としている。
fa-calendar2020年7月4日 10時36分
https://news.livedoor.com/article/detail/18519389/
fa-wikipedia-w本能寺の変
本能寺の変とは天正10年6月2日早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件である。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、まもなく火を放って自刃した。
日付:1582年6月21日
本能寺の変 - Wikipedia
fa-twittertwitterの反応
いまだにこんな発見があるんだな。
歴史って常にアップデータされるものなのか。— 苔むす。 (@bug20366002) July 4, 2020
未だに新情報が発見されるのすごい
— うっかりパッション (@ukkaripassion) July 4, 2020
私も最初そう思いました・・・
— ゆみりん0430 (@yumikodayo1) July 4, 2020
明智秀満といえば、『鬼武者』を思い出しますね。
— シゲク@note263 (@shigekumasaku) July 4, 2020
fa-commentネット上のコメント
・すげぇ
・整理してたら見つかったとか、寺にあるもの把握してなかったのか!?
・瀬田城の戦いはドラマや小説で出てくるけど 船戦したとは初耳じゃ
・明智光秀が倒した。って言うところから 謎のままにしてほしかったなぁ〜と思ってしまう
・黒幕は誰なのかはわからないままなのか…
・大河どうする⁈
・エクスプロージョンもびっくりやな
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