1500年前の日本の関西、朝鮮半島の先祖たちが住む場所だった
・最近の韓国人が最も多く訪れる海外の観光地の1つが、大阪がある日本の関西地方だ。日本で最大規模のコリアタウンがあることでも有名なこの地域について、多くの韓国人は、20世紀初め、植民地となった祖国を離れた多くの朝鮮人が生計のために定着したところだと認識している。
しかし、歴史的な真実は、関西に刻まれた古代の先祖の驚くべき足跡を伝える。『続日本紀』の8世紀初めの人口調査記録によると、1300年前の関西地方の中心だった南部の奈良盆地に住んでいた人の80~90%が百済系移民だった。
それを立証するのが、関西地方に5世紀後半から登場する百済特有の墳墓の様式である横穴式石室墳で、6世紀まで爆発的に増加し、高安などの地域に「1000個の墓」という意味の千塚古墳群が雨後の筍のように登場する。
一部のエリートの墓は王陵級であり、非常に大きいうえ、銅鏡、鉄製短剣、刀、金のイヤリング、玉・ガラス製品などが出土し、百済と馬韓系統の住民と支配者の存在を示している。未発掘の古墳は数百基に達し、関西地方だけでも少なくとも1000基を超える百済系の古墳群が造成されたと推定される。
歴史考古学者の石渡信一郎氏は「千塚と呼ばれる巨大な墳墓の主人公が、朝鮮半島西南部出身の渡来人とその子孫であることを考慮すれば、紀元後475年から600年までの125年間に、少なくとも100万人が朝鮮半島から日本列島に渡ってきただろう」と推定した。
(略)
fa-calendar2023-10-10 06:10
fa-chainhttps://japan.hani.co.kr/arti/culture/48030.html
fa-wikipedia-w関西地方
関西は、本州南部に位置する地域です。この地域の中心地には、794 年~1869 年まで日本の首都が置かれていた京都があります。京都の水路沿いにある哲学の道には、松の木立に囲まれた銀閣寺境内と池、枯山水の庭園で有名な南禅寺などの寺が立ち並びます。京都の南には、8 世紀頃に首都として栄えた奈良があり、同時代に創建された東大寺とその周辺は奈良公園と呼ばれ、園内を鹿が自由に歩き回っています。
出典:Wikipedia
ネット上のコメント
・って言う願望ね(棒)
・500年前とかそうかとしかならんなー
・またウソナラファンタジーか
・1500年前から遥々来てたのか(驚)
・古墳は日本独自のものだが
・相変わらず下らん!
・飛鳥時代の始まりに??
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