小田中直樹さんのポスト
川勝平太・静岡県知事が辞意を表明した。
ここのところの「迷言が止まらぬ」姿を見ていると、怒りやあきれを通りこして痛々しい気がするが、ことここに至ればやむをえぬ選択だろう。
ただし、ぼくにとって、川勝はたった3本の論文で19世紀日本経済史の通説をひっくりかえした早熟の学者である。
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川勝平太・静岡県知事が辞意を表明した。ここのところの「迷言が止まらぬ」姿を見ていると、怒りやあきれを通りこして痛々しい気がするが、ことここに至ればやむをえぬ選択だろう。
ただし、ぼくにとって、川勝はたった3本の論文で19世紀日本経済史の通説をひっくりかえした早熟の学者である。
1/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
すなわち
1.「明治前期における内外綿布の価格」(『早稲田政治経済学雑誌』244/245、1976)
2.「明治前期における内外綿関係品の品質」(同250/251、1977)
3.「一九世紀末葉における英国綿業と東アジア市場」(『社会経済史学』47-2、1981)
である。第一論文を書いたとき、彼はまだ28歳だった。
2/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
この3論文で、彼は「開国によって海外から安価な機械製綿織物が日本に流入し、日本の綿産業を圧服し、その結果、日本は絹産業に特化した」という通説を実証的に打破した。
3/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
彼によれば「それまで日本で生産されていた手織り綿織物は厚手だった。これに対して輸入された機械製綿織物は薄手だった。したがって両者は競合するはずがないし、実際、競合しなかった」。両者は併存する関係に入った、というのである。
4/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
これが、それまでの通説に対する根源的な(ラディカルな)批判であることは一目瞭然だろう。
残念なことに、その後の彼が実証的な研究を続けることはなかった。
5/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
彼は「富国有徳論」や「文明の海洋史観」を唱えて「梅棹忠夫化」し、1998年には「英国議会資料」の購入をめぐって対立した母校・早稲田を涙とともに(自著のあとがきに自ら記している)去って日文研に移り、2007年に静岡文化芸術大学学長、その2年後に静岡県知事に当選して政界入りした。
6/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
彼にとって経済史研究は、あの3本の論文を書いた段階で完結してしまったのだろうか。
それでも、3本の論文が通説破壊的であり、しかも、のちの(カリフォルニア学派などに代表される)研究潮流をいち早く予言したものだったことに変わりはない。
やはり川勝は「早熟の学者」だったのである。
end/n— 小田中 直樹 (@odanakanaoki_2) April 3, 2024
fa-wikipedia-w川勝平太
川勝 平太は、日本の政治家、経済学者。早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター副所長、財団法人総合研究開発機構理事、静岡文化芸術大学学長、学校法人静岡文化芸術大学理事長などを歴任した。
生年月日: 1948年8月16日
出典:Wikipedia
ネット上のコメント
・その論文が国益に何か貢献した訳?
・重箱の隅をつついたような天才じゃねぇか
・過去の実績より今
・実証してないなら意味ないな
・学者として優れてても今こいつ政治家だし
・いうて文系だろ? ぶっちゃけ日本の「文系が理系を管理する」構造は無理があると思うわ
・そら第一次産業従事者を見下すわな
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