
プーチン大統領、KGB時代は平凡な裏方職員 タクシー運転手だった時期も
・ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(69才)の暴挙に世界が怒りの声を上げている。ウクライナを侵攻し、核の利用さえちらつかせるプーチン氏は、ソ連の諜報機関「KGB」出身だ。
プーチン氏にとって「KGBのスパイ」は憧れの職業だった。しかし、当時のソ連は歴史上でも珍しい平穏な時代だったこともあり、彼が思い描いたような活躍の場はなかった。ウクライナ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリーさんはこう言う。
「どこの国でも、独裁者というのは“普通の人”だった過去を隠したがるものです。プーチン氏は自身のKGB時代について“東ドイツに配属されて諜報活動に従事した”と話していますが、実際は映画『007』のような特殊任務を担当する工作員ではなく、裏方の事務作業を担当する平凡な職員だったようです」
東西冷戦下の東ドイツに赴任中、敵である西ドイツの情報を収集するためにやっていた仕事は、主に新聞の切り抜きだったという。
やがてベルリンの壁が崩れ落ち、母国ソ連も崩壊に向かう中、プーチン氏は失意の中で母国に戻った。すでに40才近い中年になっていた。レニングラードに戻った頃は、タクシー運転手をしていた時期もあったという。
こうした背景が「徹底的に力を誇示する男」を作り上げたとみるのは、東京外国語大学大学院・総合国際学研究院教授の篠田英朗さん(国際政治学)だ。
(略)
fa-calendar2022.03.06 07:00
fa-chainhttps://www.news-postseven.com/archives/20220306_1731147.html?DETAIL
fa-wikipedia-wソ連国家保安委員会
ソ連国家保安委員会は、1954年からソビエト連邦の崩壊まで存在したソビエト社会主義共和国連邦の情報機関・秘密警察。軍の監視や国境警備も担当していた。 東西冷戦時代にはアメリカの中央情報局と一、二を争う組織と言われていたが、ソビエト連邦の崩壊と同時に共和国間保安庁、中央情報庁、連邦国境庁などに権限を移行した。
解散年月日: 1991年11月6日(事実上の解散日); 1991年12月3日(法令上の解散日)
出典:Wikipedia
fa-commentネット上のコメント
・最初から仕事を任される訳では無いのだから、そんな過去を掘り返してもなぁ…。
・その後の見せかけの強さは、弱さを糊塗するためでした!チャンチャン。😱😱
・秀吉しかり(*´ω`*)
・だからなに? 馬鹿しているなら相当なアホだぞ そこから国トップ這い上がるって相当な運と努力ない無理だぞ どう考えても十分すごいよ 逆にやってみろ言われても無理だわ 日本でも秀吉いるし
・ある意味、今下積みでも・・・となるのかしら?
・それでもここまで 上り詰めるのはすごい 今やってる事とは別としてね
・後ろ盾もなしに大国のトップに登りつめたってのは事実なんだから、プーチンの化け物クラスの運と政治能力は認めざるを得ない 秀吉も雑兵からスタートだったわけで
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