「意見が割れることはあっても、大抵、安倍さんの方が正しかった…」参院選後に安倍元総理と10年ぶりのゴルフを計画していた菅前総理が明かす… “最後の会話”

菅前総理が明かす安倍元総理との“最後の会話” 一番の思い出は「二十数年前にもらった電話」

記事によると…

・「菅ちゃん、参院選が終わったら、またゴルフでも行こうよ」

参院選が始まる前、安倍さんからそう誘っていただいて、具体的な日程まで、すでに決めていたんですよ。

〈そう語り始めたのは、2012年12月に発足した第2次安倍政権以降、7年8カ月にわたり官房長官を務めた菅義偉前総理(73)である。

・私が安倍さんと最後にゴルフに行ったのは、私が官房長官に就任する前のこと。第2次政権が発足した後は、それこそ毎日顔を合わせていましたが、それはあくまでも総理と官房長官として打ち合わせをするため。政権発足以来、ゴルフはおろか二人きりでゆっくり食事をするということもありませんでした。

・安倍さんが撃たれた当時、私は沖縄県で応援演説が予定されていたため、車で羽田空港に移動しているところだった。事件の第一報も、その車の中で受けました。

そこからは私もいろんなところに確認の電話をしましたし、私から情報を得ようとする記者や関係者からの電話も引っ切りなしに鳴り続けていた。胸を撃たれたということでしたから、せめて心臓がある左胸ではなく右胸であってほしいと願いましたが、確認を進めると撃たれたのは左だという。その時点で私は、なかなかきついのかなと、最悪の事態も覚悟していました。

少し時間を置いてから、閣僚や党役員が自民党本部に招集されたという情報が入ってきた。党としてその日の選挙活動も休止することに決めたといいます。私は安倍さんのそばにいたいと思い、急遽、奈良に向かうため東京駅に行き先を変更。新幹線に飛び乗ったのです。安倍さんは優しくて、いつでも周りには仲間がいて、でも、寂しがる人だった。そんな安倍さんの隣にいてやりたい、そう思ったんです。

(略)

最後にかけた言葉は

病院では、まず昭恵さんにお会いし、検視が終わるのを待って20時頃に安倍さんとようやく対面することができた。司法解剖の前でしたから本当に普段通りのお顔で、眠っているだけのように見えました。

対面できたのはほんの数分でしたが“本当にお世話になりました。ありがとうございました”と声をかけて病院を後にしたんです。

(略)

意見が割れることはあっても、大抵、安倍さんの方が正しかった。何より安倍さんは総理でしたから、私も安倍さんの考えを尊重していましたね。

(略)

2022年08月15日
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08150557/?all=1

菅義偉


菅 義偉は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。 内閣総理大臣、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣、総務大臣、内閣府特命担当大臣、郵政民営化担当大臣、総務副大臣、横浜市会議員、自由民主党総裁、自由民主党幹事長代行などを歴任した。
生年月日: 1948年12月6日 (年齢 73歳)
出典:Wikipedia

ネット上のコメント

こ、これは泣けますね😢

それがわかっただけで、蒔いた種が芽吹いたのだと思います。

また…泣いてしまいます🙏

シェアありがとうございます。読めて良かった記事でした😭

人間味に溢れる方がほんとに少なくなった

菅さん、少しの間休んだら、また日本に力を貸してくれ。日本は、あなたを必要としている。

安倍総理をずっと支えてこられた菅官房長官 このお二人だから、最強だった。

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