「ずっと一緒にいたかった」9日間放置され死亡した3歳児 法廷に立った26歳の母親が背負う“虐待の連鎖”
・3歳の女児が家に9日間放置され、脱水と飢餓により死亡した。この事件を聞いて、どんなに苦しかったろう、寂しかったろうと、小さい体で懸命に耐える女の子の姿を想像した人も多いのではないだろうか。母親はいったいなぜそんなことをしたのか。裁判を傍聴してみえてきたものとは。(TBS報道局 久保田智子)
■「大好きで、一緒にいたかった」9日間放置した事実との矛盾
検察官から放置された娘の気持ちを聞かれ、母親は答えた。
「のんちゃん(死亡した娘)はうちのことが大好きだった。うちと同じで大好きで。常に、生まれたときから、うちがみえなくなると、離れると、泣く子だったので。きっとうちがいない間、泣いたり、我慢してたかなって・・・寂しかったと思うし、うちといっしょで、うちと一緒にいたいって、泣いてたかなって」
うちと同じで。うちといっしょで。母親は死亡した娘に自分を重ね、自分も同じように娘が大好きで、一緒にいたかったのだと主張した。しかし、大好きで、一緒にいたかったはずの娘は9日間放置され、衰弱死した。
(略)
fa-calendar2/6(日) 14:56
fa-chainhttps://news.yahoo.co.jp/articles/5ce99738649e29bf36549a4e1732ccdf6457c898
fa-wikipedia-w虐待
虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)は、繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすることである。具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるう、言葉による暴力をふるう(暴言・侮辱など)、いやがらせをする、無視をする、等の行為を繰り返し行うことをいう。
出典:Wikipedia
fa-commentネット上のコメント
・これは辛い。まず、被虐待児は圧倒的な力支配のもと、「自己主張」の芽を摘まれる。そして、いちいち感情を動かしていたら死ぬほどに辛いので、「感じることをやめる」、また、先のことも「考えなくなる」。その人たちが大人になることの苦難は、想像を絶すると思う。
・コイツが虐待されてたとか施設に入ってたとか、そういう事言い出したら同じ境遇を経て真っ当に生きてる人にめっちゃ迷惑かかると思うんだ。
・放置して死なせた行為と「ずっと一緒にいたかった」という被告の気持ちは矛盾していない。決して擁護はできないけど、悲しい事件。
・私も虐待経験者だから『言えない』『顔色を伺い、本心は言わずに、常に笑っていた』という気持ちが凄くわかる。
・この人の生い立ちを知ると同情したくなるけど子どもが亡くなってしまったって事実は変わらないよね、辛すぎる…
・虐待で養護施設て育てられ頼る親戚もいない人間を、18歳になったからってポイッと社会にほっぽりだすのが日本。本当に政治と社会が悪すぎる。でも、やはりこの女がやったことは許せない。ネグレクトで殺しておいて「一緒にいたかった」はないだろ
・悲しい事件だね...
\\SNSで記事をシェア//
X(旧Twitter)でシェアニュースを
Follow sharenewsjapan1