車椅子ユーザー「伊是名夏子さんが叩かれたのは人々の中にある羨望と妬みが原因。無人駅を無くせばいいだけなのに」

乗車拒否という差別とは何か①~~無人駅で起きたこと~~ / 安積遊歩

▼記事によると…

・45年前の福島駅には、全くエレベーターがなかった。私も街にどきどきしながら出始めたばかりの頃、階段だらけの駅に戸惑い、倉庫のあたりにあったちょっと怖そうな荷物用のエレベーターを使わせて欲しいと頼んでみた。

私と他に車椅子を使っている男性の3人。2人の車椅子を使っている友人は聞き取り難い言葉ではあったが、駅員からからかうように酷い言葉をかけられた。「私たちは社会のお荷物です、だから荷物用のエレベーターを貸してください、と言ってみろ」と言われたのだった。あまりの差別的な言い方に屈辱と怒りで1時間か2時間、抗議し続けた気がする。結局その荷物用のエレベーターを借りることはできたが、それ以降はなるべく駅員には頼まずに通行人たちに「手を貸してください!」と叫び続けて駅と電車を使い続けた。そして交通バリアフリー法ができるまで通行人だけでなく駅員が率先して手伝ってくれる時代も作った。

私が通行人に頼もうとすると、「いやいや、僕たちがやりますので」と言って、例えば電動車椅子などは右と左に駅員が3人ずつ、計6人がついて登ったり降りたりした時代。そんな時に「俺たちも大変なんだから、少なくても弁当食べる時間には来るな」とか「電動車椅子は重すぎるから、俺たちの体のことも考えろ」と言われたこともあった。そんな時、いつも私が言ったのは「私だってこんな怖い思いをいつまでもしたいわけはないのだから、一緒にエレベーターをつけるよう会社や自治体に働きかけましょうよ」ということだった。

そんな中、先日久しぶりに駅で乗車拒否をされたという話を聞いた。詳細は彼女のブログに譲るとして、私がその炎上したTwitterでのやり取りにどう思い、どう感じたかを述べていく。

乗車拒否というのは明らかに“差別”そのものである。差別がいけない、というのは人類普遍の原理だと思いたいが、Twitterのやり取りを少しだけ見ると、まずこれは差別であるという認識を持てていない人が本当に多い。それぞれが自分の考えやすい、想像しやすい人の立場に立つことによって感情移入を行い、私の友人の行為を非難したり同情したりしている。

彼女は100センチの身長で2人の子供を産み、様々な発言を試み、本を出版し(ママは身長100センチ)、この優生思想社会の中に大いなる快挙を成し遂げてしまった。だから人々の中にある様々な形の羨望と妬みが、爆発的にTwitter上に現れてしまったと私には見える。

私たちは誰もが幸せになる権利を持っている。無人駅は車椅子を使う私たちにとっては非常に使いづらい、幸福追求権を妨害するものである。だとしたらそれをどのように変えていくかを考え、行動すれば良いだけである。とんでもないところに莫大なお金(軍事費、原発、大量消費至上主義)が回っている現実にひとり1人が覚醒して欲しい。そんな中、友人の行動は無人駅をなくしていこうというだけのシンプルな問題提起なのだ。

2021年4月12日
https://tcy.co.jp/blog/8607/

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twitterの反応

ネット上のコメント

無人駅が無人駅である理由をわかってなさそう

無人駅をなくせばいい ATMなくして全部銀行にしろって言ってるようなもんだろこれ

無くせばいいだけ、って、その費用は誰が負担するのよ

ただでさえ割引料金で乗ってるくせに余分に金を使えと? 車椅子様が自腹で4人ヘルパー雇ってから言え

無人駅を廃止しちゃえば利用しなくてすむぞ

特権欲しさに差別を連呼する輩、アメリカでも最近あったな

すげーこと言い出したな

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