
by 水月会
井川意高さんが2025年7月6日にXで「ナイス 例え」と短く投稿し、1つのポストを引用しました。
引用されたポストでは、「話が長い ネチネチ話す 脳が悪い証拠」という前置きとともに、皮肉と取れる内容が紹介されています。
内容は「石破ってさ、『1+1はいくつですか?』って聞かれたらたぶん真顔でこう言うよね」と始まり、「1と1を足した場合、確かに2という考え方はあるが、それが常に正しいとは限らない。加算とは何か。1とは何か。そうした根本的な議論を避けて“2”と結論づけるのは、極めて短絡的と言わざるを得ない」など、10分間語る様子を皮肉交じりに表現しています。
この投稿は、1+1という単純な計算を題材にして、論理的思考と揶揄を融合させたユーモアに満ちており、投稿者の視点が「理屈っぽさ」や「話が長い人」に向けられていることがわかります。
井川さんが「ナイス 例え」と反応したのは、例え話としての秀逸さと皮肉の巧みさを称賛したとみられます。
話題のポスト
ナイス
例え https://t.co/inycgDKCBU— 井川 意高 サブアカ改め本アカ (@IkawaMototaka) July 5, 2025
Xの反応
分かりやすい例えですね。
— ガンタク (@guntaku09) July 6, 2025
お見事😂
— まさ子🟠 (@pon_ko222) July 5, 2025
ねばならない。
— 🐾mikeneko-himari (@himari_mikeneko) July 5, 2025
ネバネバ🤷♂️
石丸に近いw
— nabe@人柱🦆𝕏 (@Etekichi7) July 5, 2025
関連
深掘
「論理の迷宮」に陥る思考のクセ
この投稿が共感を呼んだ理由には、現代社会でよく見られる「話が本質から逸れる人」へのある種の風刺が込められているからと考えられます。
特に議論や会議、教育の現場などで、物事を必要以上に哲学的・抽象的に捉える傾向は少なくありません。
実際、1+1=2は初等教育で教えられる基本でありながら、文脈次第で結果が変わるというのもまた真実です。
例えば、集合論や代数系などの数学的体系では、1+1が必ずしも2とは限らない場合もあります。
哲学的にも、「1とは何か」と問い始めれば、それは実体なのか概念なのかという議論に発展します。
このように、単純な問いに複雑な答えを持ち出す人々を皮肉ると同時に、その思考のクセや知的ポーズを見抜いた投稿と言えるでしょう。
ユーモアが示す人間観察の鋭さ
このポストの魅力は、単なる数学的・哲学的な問いではなく、そうした議論を持ち出す人の特徴や空気感を的確に捉えている点にあります。
誰もが一度は出会ったことのある「議論好きで話が長い人」や「結論にたどり着かない会話」に対する共感が含まれているため、多くのユーザーにシェアされたのでしょう。
井川さんがこれを「ナイス」と評したのも、単に面白いという意味以上に、「的を射た視点」への賛同と解釈できます。
ユーモアを通して浮き彫りになったのは、人間の会話や議論に潜む無意識の自己顕示欲や、思考の奥深さとその限界でした。
この投稿は、短いながらも深い考察を促す一例として、多くの人の記憶に残るものとなりそうです。
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