ひろゆき氏「自分に誇れるものがない人ほど『日本人』っていうことを プライドにする」
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実業家で論客として知られるひろゆき氏が、生活保護(通称ナマポ)に対する世間のプライド意識について持論を展開しました。

「無能ならさっさとナマポもらって、だらだら友達と楽しめばいいのに、なんでやる人少ないんですか?」という問いに対し、ひろゆき氏は「無能な人の方がプライド高い」と切り出しました。

彼によれば、能力や実績のない人ほど、根拠のない誇りや自己認識にしがみつく傾向があるといいます。

例えば、「日本人であること」に強い誇りを感じる人がいることを例に挙げ、それは努力や成果によって得たものではなく、偶然に与えられた属性であると指摘しました。

そのような人々は「ナマポをもらっていない自分」もまた、ささやかな誇りとして扱いがちだと語ります。

ひろゆき氏は、生活保護を受けて生きることに対して否定的な感情を持つ必要はなく、むしろそれを活用することで安定した暮らしができるのであれば利用すれば良いと述べています。

「ナマポをもらっていない」という事実自体は自慢にはならず、実際には多くの人がその状態にあると指摘し、くだらないプライドに縛られたまま生きることの無意味さを示しました。

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「自分で築いたもの」こそ誇るべきプライド

ひろゆき氏の主張の核心は、「何をプライドとするか」という価値観の再考にあります。

誇りとは本来、自分の努力や経験、挑戦の積み重ねから生まれるべきものです。

しかし現代社会では、自ら築いたものでなくとも「誇り」と言い張るケースが目立ちます。

たとえば、生まれながらの国籍や、制度を利用していないことなどが、それに該当します。

社会的評価が不安定な中で、人は自尊心を保とうとし、他者と差別化できる「ラベル」に安心を求めがちです。

しかし、それらは根拠のない優越感であり、時に他者への攻撃や無理解に繋がる危うさも孕んでいます。

真のプライドとは、他人との比較ではなく、自分自身の内面と向き合いながら育むものであるべきです。

自らの努力や判断をもとにしたプライドこそが、人を前向きに支える軸になるのです。

誇りの形を見直すとき

ひろゆき氏の発言は、社会全体が抱えるプライドのあり方への警鐘とも受け取れます。

誰しもが持ち得る「誇り」という感情ですが、それが根拠を欠いた自己満足や他者への優越感として機能しているとすれば、見直す必要があります。

たとえば、生活保護の利用を「恥」と結びつける風潮も、こうした誤ったプライド意識から来ていると言えるでしょう。

現代の複雑な社会では、誰しもが困難に直面する可能性があります。

そうしたときに、制度を正しく利用し、再び立ち上がることは決して恥ではありません。

むしろ、それこそが前向きな生き方であり、誇るべき姿勢です。

誇る対象を外に求めるのではなく、自分の中にある努力や選択を評価する視点が、これからの時代には求められています。

プライドの再定義は、自分らしく生きるための第一歩となるはずです。

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