
読売巨人軍の終身名誉監督で「ミスタープロ野球」と称された長嶋茂雄さんが、2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去しました。
ざっくりPOINT
- 「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん死去
- 巨人軍の黄金時代を築いた功績
- 晩年もリハビリに励み、文化勲章を受章
報道の詳細
関連
反応
3日、89歳で永眠。
— ががっち (@king_gagaga) June 2, 2025
背番号3、野球
大スター、安らかに。
本当に1つの時代が終わった感じだな。
— 國田丈樹 (@fvlkunio) June 2, 2025
うわぁぁぁ!!!
— ひこ🍩 (@hikoneko_dao) June 2, 2025
今年一番のショック😰
御冥福をお祈りします。
ミスター😭
— はらいそ (@paraiso_moge) June 2, 2025
安らかに。
ミスターの記憶は永遠です!
深掘
日本野球界に刻まれた長嶋茂雄さんの功績
長嶋茂雄さんは、1958年に読売ジャイアンツに入団し、通算2186試合に出場、2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305という輝かしい成績を残しました。
特に王貞治さんとの「ON砲」は、1965年から1973年までのV9達成に大きく貢献しました。
引退後は監督としても活躍し、リーグ優勝5回、日本一2回を達成しました。
また、2004年に脳梗塞を発症後も懸命にリハビリに取り組み、2013年には松井秀喜さんとともに国民栄誉賞を受賞しました。
2021年には野球界から初となる文化勲章を受章し、その功績は多方面で称えられています。
長嶋茂雄さんの死去に寄せて
長嶋茂雄さんの死去は、日本の野球界にとって大きな損失です。
その華麗なプレーと人柄は、多くのファンに愛され、野球の魅力を広める原動力となりました。
また、指導者としても多くの選手を育て、日本野球の発展に寄与しました。晩年もリハビリに励み、常に前向きな姿勢を貫いた姿は、多くの人々に感動を与えました。
その功績と人柄は、今後も語り継がれていくことでしょう。
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