
小泉進次郎農相が、備蓄米に対する「古古古米」という呼称について否定的な見解を示し、「令和3年産米」など別の名称の浸透に期待を寄せた発言が波紋を呼んでいます。
- 「古古古米」の名称変更に前向きな姿勢
- SNSでは「ナナヒカリ」と皮肉ネームが拡散
- 品質は高評価でも言葉の印象が課題に
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反応
「ナナヒカリ」は本当にピッタリ🥳
— あんこくのしはいしゃ (@ANKOKUSHIHAISYA) June 2, 2025
古古古古小泉米で良いと思います
— greenglass (@gr_15000388109) June 2, 2025
ピッタリすぎる
— ペロ助 (@denpa12000) June 2, 2025
🤣🤣🤣🤣🤣
餌米でよくね?(笑)
— ひろくん6ND5SC11 (@hiro_NDSC) June 2, 2025
深掘
名称イメージと政策の信頼性のギャップ
「古古古米」という言葉は、備蓄米の実態以上に「古い=劣化している」というネガティブなイメージを国民に与えやすい表現です。
小泉農相の指摘するように、日本の備蓄米は厳格な品質管理の下で保存されており、実際には味や栄養面で新米と大差がないという評価も多くあります。
しかし、情報が瞬時に拡散するSNS時代において、ネーミングが持つ印象の影響力は侮れません。
今回のように「ナナヒカリ」(親の七光りを揶揄した通称)がバズる背景には、政策内容よりも発信者や言葉選びが世論の評価を左右する現実があります。
政府としては、言葉の工夫と同時に、現物の品質や実績についても丁寧な情報発信を継続する必要があります。
言葉の力と政策の真価が試されるとき
備蓄米の呼称をめぐる議論は、一見すると小さな問題に見えますが、実は行政と国民との信頼関係に直結する要素でもあります。
「古古古米」という呼び名に嫌悪感を抱く人がいる一方で、SNSでは「ナナヒカリ」といった皮肉が冗談交じりに飛び交い、政治家の姿勢や発信の仕方への風刺がエンタメ化されています。
こうした空気の中で重要なのは、単なるイメージ戦略に終わらせず、食の安全や国の備蓄政策の本質を国民とどう共有するかという視点です。
言葉だけを変えても実態への理解が伴わなければ信頼は得られません。
小泉氏が期待する「民間の発信」に頼るだけでなく、政府としての誠実な情報提供と透明性が求められています。
政策の実効性と発信の品格、その両輪が今、試されています。
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