渡邊渚さんの写真集水着ショットに、女性「同性としてはどう受け取っていいのかわからない… 性被害に遭っても笑顔で胸を露出できるまで回復したんですね、良かったですね、って受け止めればいいの?」

天使さん(@tenshicos)は、SNS上に投稿された「性被害を受けたとされる女性が胸元を露出し笑顔を見せている写真」について、同性としての複雑な心情を吐露しました。

「笑顔で胸を露出できるまで回復したと受け止めるべきなのか?」と問いかけ、被害からの回復過程における“表現”の捉え方に戸惑いを見せています。

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性被害とその後の自己表現に対する社会の視線

性被害を受けた人が、その後どう生きるか、どう表現するかは千差万別です。

しかし、今回のように「回復した姿」としての自己表現が、社会や他者からの“評価の対象”になりやすい現実があります。

多くの被害者は、回復の一環として積極的に自己表現に踏み出すことがありますが、それが露出を伴った場合、「本当に被害を受けたのか」「回復したのなら静かにしていればいいのでは」といった不適切な声が飛び交うことも少なくありません。

SNSでは賛否が二分し、「被害後の行動には背景がある」とする理解の声や、「どう受け止めてよいか分からない」といった戸惑いも散見されました。

専門家の間では、被害後に外見や態度が変わることは「トラウマ反応」の一種ともされており、必ずしも“矛盾”ではなく、むしろ自己を取り戻そうとする過程の一つであると説明されています。

こうした背景を理解せずに感情的な批判を向けることは「セカンドレイプ」として再度被害者を傷つける可能性があり、慎重な対応が求められます。

当事者の尊厳と回復の形を、誰がどう定義できるのか

問題の本質は、「被害者がどう振る舞うべきか」を第三者が勝手に判断しようとする社会の視線にあります。

被害に遭った後の回復やその過程は個人ごとに異なり、外見的な表現や態度はその人なりの“再生の証”かもしれません。

しかし、その表現が露出を伴ったり、明るく振る舞うことで、「あの人は本当に被害者なのか」と疑うような風潮が根強くあります。

これは、固定観念に基づく偏見であり、当事者にとっては二重の苦痛となる構造です。

社会がすべきは、被害後の行動や表現に対して一律の“あるべき姿”を押しつけることではなく、多様な回復の形を尊重することです。

今回のような表現が注目されることで、より多くの人が性被害やトラウマについて正しく理解するきっかけにもなり得ます。

一方で、それを揶揄するような言動がある限り、当事者が安心して語れる環境にはなりません。

尊厳を守る視点と、他者を理解しようとする想像力が、SNSを含めた社会全体に求められています。

(文・構成=シェアニュースジャパン編集部)

 

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