
弁護士の伊藤和子さんが、メディアによる呼称の違いについて「広末さんは『容疑者』と報じられたのに、デヴィ夫人は『夫人』と呼ばれているのはおかしい」と批判し、立場や権力による報道の偏りに疑問を呈しました。
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なぜ広末さんは今朝まで「容疑者」と呼ばれ、デヴィ夫人は夫人と呼ばれるのか?
メディアはおかしすぎる。
強い者には忖度し、弱い立場の者に容赦がない。 https://t.co/cU9B05bxOC— Kazuko Ito 伊藤和子 「ビジネスと人権ー人を大切にしない社会を変える」(岩波新書) (@KazukoIto_Law) April 16, 2025
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反応
夫人は意味違うんよ
— 🦀ティッティツイッター🦀 (@TittytwisterXXX) April 16, 2025
名前はデヴィ◦スカルノだけど、タレント名は「デヴィ夫人」なんよな
だから「広末涼子」って言われてるのと同じ
そのノリで行くなら「さかなクン」「なかやまきんに君」は「くん」付けで呼ばれるわけで。
— 徒然者 (@tsureduremono) April 16, 2025
[ad1]夫人呼びの元祖は
— ぽん太チェリーボウイ(ジャニー淀川) (@pontai1798885) April 16, 2025
みのもんた!
とりあえず、「デビ夫人」までが固有名詞だと思う。
— littlejohn おまいも1/35にしてやるよ。 (@littlejohnQ) April 16, 2025
「デビィ夫人容疑者」だと笑えるのに😃
— カズ@Kazz🌅Sweet Love (@kaz0088800888a1) April 16, 2025
なんでもいいけど、春ですね
— 腹ペコしょぺ (@rFoJ7mUDIN65830) April 16, 2025
深掘り
呼称の不均衡が浮き彫りにする報道の構造
メディアにおける報道の呼称には、しばしば社会的背景やその人物の影響力が反映される傾向があります。たとえば、刑事事件に関与したとされる著名人が「容疑者」と明確に記される一方で、影響力や知名度が高い人物が敬称付きで報じられるケースも少なくありません。
これは報道の公平性の観点から問題視されることが多く、「敬称の使い方」によって無意識に印象操作が行われているとの指摘もあります。呼称の選び方ひとつで世間の受け止め方が左右されるため、メディアには事実を客観的かつ対等な視点で伝える責任があるはずです。
また、こうした報道の仕方が、社会的立場の弱い人物に対して一層の偏見や差別を助長するリスクもあります。呼称の問題は単なる表現の問題にとどまらず、報道倫理全体のあり方を問い直す契機ともいえるでしょう。
公平な報道がもたらす社会的信頼の構築
報道において中立性や公平性が求められる理由は、情報を受け取る側の認識に直接影響を与えるからです。伊藤和子さんの指摘のように、呼称に差をつけることは、報道の客観性を損なうだけでなく、社会における力関係を肯定し、弱者の立場を軽視する結果につながる可能性があります。
とりわけ影響力のあるマスメディアが公正さを欠くことで、報道そのものの信頼性が揺らぎかねません。視聴者・読者の側も、報道の内容や表現に対して批判的に捉える姿勢が重要です。
今後、メディア各社には、呼称の一貫性と倫理的基準の再考を求める声がさらに強まっていくことが予想されます。公平で丁寧な報道が、社会の信頼を育み、真に公共性のあるジャーナリズムの姿を支える柱となるべきです。
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