「報道の自由」か「人間としての尊厳」か 一色正春氏が語る葬儀でのメディア対応の苦い経験
元海上保安官でジャーナリストの一色正春氏(@nipponichi8)が、自身のSNSで、過去に職場の同僚たちが殉職した際の葬儀で経験したメディア対応について語り、大きな反響を呼んでいます。一色氏は、遺族や参列者の気持ちを顧みない取材態度に対して「報道の自由より大事なものがある」と反論したエピソードを明かし、多くの共感と議論を呼び起こしました。
葬儀での取材対応に苦言
一色氏は、職場の同期を含む5人が殉職した葬儀に参列した際の出来事を振り返りました。葬儀の帰り際、メディア関係者が群がり、「今のお気持ちは」と質問してきたといいます。これに対し、一色氏は「あなたの親族や友人の葬式でこんなことをされたらどう思うか」と問い返したといいます。
しかし、メディア関係者は「報道の自由」や「国民の知る権利」を盾に取材の正当性を主張。この態度に対し、一色氏は「そんなものより大事なものがあるやろ」と反論し、その後は沈黙が続いたと語りました。
SNSでの反響:共感と議論
一色氏の投稿には、多くのユーザーが共感を寄せる一方で、報道の自由や取材の必要性についての議論も巻き起こっています。
共感の声
「一色さんの言葉に完全に同意。遺族や参列者の感情をもっと尊重すべき」
「報道の自由は大切だが、それを理由に人の心を踏みにじるのは間違い」
「大事なものを見失わない姿勢が素晴らしい」
報道の意義を支持する意見
「報道は公共性のために行われる。事件や出来事を伝える責任もある」
「取材を否定することが、結果的に知る権利を奪うことになる場合もある」
報道と人間性のバランス
今回のエピソードは、報道の自由と人間としての尊厳という二つの価値観の衝突を浮き彫りにしています。メディアには出来事を正確に伝える役割がある一方で、取材対象者の感情やプライバシーを尊重する姿勢が欠かせません。特に、葬儀や災害現場といった感情的に敏感な場面では、より慎重な対応が求められるでしょう。
メディアが「報道の自由」や「知る権利」を盾に行動する際、それが被取材者にとって受け入れられる形で行われているかを検証し続けることが重要です。一方で、取材される側も感情的な瞬間であっても、その情報が社会にどう役立つかを考える視点を持つことも必要かもしれません。
一色正春氏の投稿は、メディアの取材態度について考えさせられる内容でした。報道の自由は民主主義社会の基盤であり重要な権利ですが、それが「人間としての尊厳」と対立する場面では、より慎重な対応が求められます。
今回のエピソードは、報道に携わる人々が感情的な場面での取材において、取材対象者の心情に配慮し、より良いバランスを模索する必要性を改めて浮き彫りにしました。このような議論を通じて、より人間性を尊重した報道が実現されることが期待されます。
(文=Share News Japan編集部)
ネット上のコメント
・雲霞の如く群がる 無神経カメラ集団
・冷血動物な一方、卑しく狡猾なマスゴミ人種。
・葬儀に参列した人にお気持ちを聞くことと、報道の自由がどう結びつくのかわかりません。メディアのヒトタチって、これ、説明できるのですかね?
・貸金庫問題で10億円以上の業務上横領が発生した三菱UFJ銀行の頭取のオフィスや自宅に押し掛けて突撃取材インタビューを敢行しない時点で、マスゴミは相手を選んで突撃している事が丸判り。要は敵に回すと怖い相手には突撃せず、怖くも何ともない相手には突撃する訳だ。
・311震災で遺体安置所から出て来た遺族に『今日は何しにこちらへ?』聞いたマスゴミがいました
・以前とあるテレビの街頭インタビューをお願いされた時に「望む答えはしないけどいい?」と言ったら顔が引きつった変な笑いのままお兄ちゃんが退散していった事があった。だいたいテレビだから答えるのが当然と思ってるのがクソ過ぎる。
・メディアって「元祖迷惑系YouTuber」だな。
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