六衛府さんのツイート
麻生さんの生い立ちですけど、子どもの頃は麦飯で育って、白米はほとんど食べたことは無く、祖母が非常に厳しい方で母親は多忙。
贅沢三昧だったはずと思っていたのですが、自分だけ布製のランドセルだったので他の子がうらやましかったとか。
自分の考えていたイメージとは全然違ってました。
麻生さんの生い立ちですけど、子どもの頃は麦飯で育って、白米はほとんど食べたことは無く、祖母が非常に厳しい方で母親は多忙。贅沢三昧だったはずと思っていたのですが、自分だけ布製のランドセルだったので他の子がうらやましかったとか。自分の考えていたイメージとは全然違ってました。 pic.twitter.com/UZrMaXAMDi
— 六衛府 (@yukin_done) August 30, 2020
fa-twitter関連ツイート
麻生太郎さんの若いころ。
※第21回オリンピック競技大会(1976年モントリオール)
射撃/クレー射撃 日本代表 pic.twitter.com/NWRrOCXKxC— 六衛府 (@yukin_done) August 30, 2020
fa-wikipedia-w麻生太郎 プロフィール
[w]
麻生 太郎は、日本の政治家、実業家。 自由民主党所属の衆議院議員、副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣、デフレ脱却担当、志公会会長、自民党たばこ議員連盟顧問である。
生年月日:1940年9月20日 (年齢 79歳)
麻生太郎 - Wikipedia
fa-twittertwitterの反応
もちろん炭坑を所有していた麻生家でしたから貧乏だったという意味ではないと思います。お金があったのに慎ましい躾をされたということだと思います。麻生さんが社長に就任した時はオイルショックで炭坑からセメントに事業転換するのにスーパー業界にまで進出して6000人の社員の雇用を守ったそうです。 pic.twitter.com/N849jMzQ9C
— 六衛府 (@yukin_done) August 30, 2020
YouTubeでも『太郎チャンネル』はみれるのでみかえしてました。
デヴィ夫人は麻生さんを銀のスプーンをくわえて生まれた方っていったかな
実際は生まれながらに麻生財閥?傘下企業の従業員や家族、地域産業の存続の重責から逃れられない立場
サラリーマンからは想像つかない
奥様も凄いなー— くらぷとん (@RunnigOnFaith) August 30, 2020
賢いお金持ちは
贅沢三昧な暮らしはしないですね。
ケチではなく質素で
物事を粗末にしないで
大切に考えて暮らす方が多いと思います。— nobana (@bimiann3) August 30, 2020
自分用に作られた小学校に通うとか、皇族以上か!
でしたよね。
凄いですね麻生家…
いろいろ次元が違いますね…— 闇鍋奉行 (@hoyaminabe) September 2, 2020
友人と20ドルを出し合って白黒テレビをレンタルして来て東京五輪を見たらしいでね。
— 六衛府 (@yukin_done) August 30, 2020
fa-commentネット上のコメント
・自分もおばあちゃん子で、ご飯一粒も残すことを許さない人でしたねぇ。
・失礼します。亡くなった私の父は麻生さんとほぼ同じ世代です。小学生のころ神奈川県の鶴見にたそうですが靴を履いていない子、下着を履いていない子などは結構いたそうです。戦後間もない頃ですから致し方ないかもしれませんね。
・祖父に聞いたことがありました 人の上に立つ人、立派な家の人は 人々の暮らしをまず考えるから 決して贅沢なことはなさらないものだ だけど災害とか何かあった時に、何かと皆の世話をしてくださる と 今、それを思い出しました。昔はそういう人が多かったのかなって感じました
・この麦飯で育ってという部分ですが、私の友人の生家が、とある地方都市でも有数の土木関係の企業を経営する一族の長男で、彼も実家での食事は麦飯だったそうです。彼曰く、麦飯に慣れておけば、いつどこでご馳走になっても心から白米を美味しいと言えるからとのこと。帝王学ですな。
・麻生氏が達筆なのは、恐ろしかったお婆様の教育の賜物なのでしょうか
・アメリカ時代のバイトの話もグッと来ますよ
・貧乏だった時代の子供への躾は、やはり大切ですね。私もイメージ変わりました。
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